EMERAUDE ARCHITECTURAL LABORATORY CO,LTD. 
 

寺子屋から町医者へ

小見山 健次 Kenji Komiyama


荒海をさまよう子供たち

子供たちのことから話を始めたいと思います。
めまぐるしく移り変わる現代社会の中で、子供たちにまつわる様々な事件がマスコミを賑わし続けています。このところ政治や経済を動かす大人たちによる低次元な犯罪までが横行し、正しく導かれるべき子供たちを乗せた船は、道標としての羅針盤を壊され、荒海をただただ漂流しているかのようです。倫理の荒廃した、混沌を極める現代社会の中で、子供たちは戸惑い、傷つき、あたかも微かな遠い光さえも見いだす術がない船の哀しい乗船者のようです。

癒しの場が求められている

身近な教育の場、学校の原点としての「寺子屋」は少数精鋭を標榜する面倒みのいい学習環境の代名詞でした。ところがそうした一元的な《学習の場》ではなく、子供たちの病んだ心を《癒す場》としての教育環境が今求められているようです。人と人との触れ合いの中に成り立つ〈温かくて近しい関係〉、それは「赤ひげ」先生を連想させます。病んだ時いつでも駆け込め、自分のことを最も良く理解してくれるホームドクターとしての「町医者」が求められているのです。

Aさんのこと

建築の話をしたいと思います。
定期的に開催されているある住宅相談会でのこと。Aさんという一人の女性が相談者として私の前に現れました。住まいをハウスメーカーに依頼したが計画図の内容がどうも納得できないので見てほしい、というものでした。新建材で覆われた片流れ屋根。延べ約40坪程の総2階建て。1、2階ともほとんどドアも壁もありません。良くある団地の戸建て風ではありますが、カタチはどうみても不恰好。色も質感も到底緑豊かな土地に馴染むとは思えない内容でした。Aさん曰く、『。住まいの設計を依頼したいというつもりで数ヶ月前に建築家の団体が主催する別の相談会に2度足を運びました。緩い傾斜地ですけれど広い土地があります。予算は1,500万円。設計料や諸経費を含めて30坪から40坪程度で、年老いた母と私が住める家の設計をお願いしたい』という内容でした。

建築家は冷たい…

彼女は続けます。『1ヶ月ほどして再度出向いた時に、その相談会の事務局から「残念ながら設計の希望者が出ませんでした」という返事をもらいました。意外な答えに落胆した私は、建築家というのはなんと冷たいのだろうと思いました。途方にくれながらも仕方なく工務店やハウスメーカーをあたることにしました。結果、哀しいかな工務店はどこも相手にしてくれません。予算が少ないせいでしょうか、ハウスメーカーも口をそろえるように「うちでは無理」といい、唯一返事をしてくれたのがこのB社だけだったのです』。

今回私が受けた相談は建築材料の種類について教えてほしい、というものでしたので余計なお世話とは思いましたが、その計画図を見た時に思った素朴な疑問を、むしろ批評のように述べてしまいました。それはなぜこんなに大きな家にしなければいけないのかということ。そしてなぜ新建材といわれるような素材を多用しなければならないのか。そしてもっと使いやすい間取りがあるのではないかということでした。そして結局のところ、それらの疑問はまさにAさんがB社の提案に納得出来なかった理由と重なっていたのでした。「予算が少ないというのになぜこんなに大きな家にするのですか」と問うと『私は大きくしたいわけではなかったのですがこのメーカーではこれより小さな規格は出来ないからといわれました』。「屋根の色も形もバランスが悪いし、もっと安い材料でも周りの環境に溶け込むような材料はあると思います」というと『メーカーでは規格寸法と指定された材料の中から色を選ぶしかないのです』。「そして、何故玄関がここに…。こちらにすればもっと部屋が広く使えるのでは」…等など、失礼とは思いましたが思いつくままにアドバイス、というよりは批判めいた少々きつい指摘をさせてもらってその場は終了したのでした。

嘆願

それから約1ヵ月後、私のアトリエにAさんから直接電話が入りました。『契約後だったのでお金は掛かってしまいましたがこのほどB社への依頼を解約しました。その後インターネットで検索して興味深い仕事をしていそうな建築家を数人探し出しました。勇気を出して直接お願いしてみることにしました。その中のお一人としてあなたを選ばせて頂いたのですがもう一度会ってくれませんか』という内容でした。そしてさらに1週間ほどして、Aさんは私の事務所を訪れました。設計事務所のC社は積極的には話しを聞いてくれなかったこと。同じくD社にはほとんど事情を理解してもらえなかったこと等など…。肩を落としながらそうしたことを私の前で話されました。1500万円の予算は契約解消などですでに1400万円近くになっていました。Aさんはさらに続けます。『私とお母さんが住むだけの家なんです。バリアフリーの配慮さえあればいい。ドアも壁もなくていいですし暮らしやすい間取りであれば面積にもこだわりはないのです』と。

町医者をめざす

こうして私はAさんの家づくりに取り組むことになりました。私にとってはこれまでの30数年に及ぶ住まいの設計の中では最も緊張する仕事になりそうな気がしました。けれど、同時に最も面白そうな、価値ある仕事に取り組むことになりそうにも思えました。なぜならその報酬はともかく、建築家の価値を最も期待されて依頼された仕事と思えたからです。
確かにAさんの家づくりには厳しい条件が山積みです。工務店やハウスメーカーすらも〈匙を投げた〉こと、そして建築家を標榜する設計事務所が敬遠する内容であったことも、ある意味で当然のことだったと思います。なぜならあまりに建設単価が低い建物であったから。適切な設計費用を請求しようにも到底無理な内容でありました…。

建築はその計画自体で質も価格も大きく変わります。材料や価格を問う前に依頼者の希望する生活条件を如何に整理し実現可能なものとするか。個々の条件に合わせた充分な検討とアイディアでしっかりとした計画さえなされたならば、そして建設(施工)までをもきちんと見据えた設計と監理とを計画するならば、たとえ常識的な建設単価がなかったとしても良い建築は出来るのではないか。その重要な部分を専門家として担当すべきは工務店でもハウスメーカーでもなく、まさにそれは私たち「建築家」の役割なのでした。

しかし私たちはこれまで身近なリフォームやローコストな住まいづくりには半ば背を向けてきたように思います。私たちの興味を引く「変わった建物」、「楽しい建物」を作るためにはお金が余計にかかることもまた事実だからです。しかし今まさに建築家は〈野に降りる〉ことが必要な時代を迎えていると言えます。身近で切実な〈生活〉にこそしっかりと目を向け、発言し、実行すべきことが必要とされているのでした。

私たち建築家は人から依頼されて家を建てます。しかしこれまで乞われて仕事をすることなど本当に少なかったのです。いや、そうした需要を敬遠してきたと言うべきかもしれません。なぜならそうした内容の仕事は労多くして実の少ない仕事になるに決まっているからです。しかし今はご承知のような不況下。少ない予算で何とかマイホームをという、祈るような需要は高まる一方です。テレビや雑誌で扱う住まいの増改築がなんと多くなったことでしょう。私たち建築家がその存在を認めてもらえる行為とは、まさにAさんのような依頼者に、持てる知識の限りを尽くして応えてあげることなのでした。そんなごくあたりまえの職責に気づき、わずかの自信と義侠心にも似た密かな意志とで、私は《町医者》をめざすことを決めたのでした。