EMERAUDE ARCHITECTURAL LABORATORY CO,LTD. 
 

安心して託せる環境

小見山 健次 Kenji Komiyama


終の棲家をつくる
スタッフ6人ほどの小さな建築設計事務所を主宰しています。〈建築とは人と環境との関わりをカタチにすること〉と思い続けてきましたが、時世でしょうか、このところ〈高齢者の環境をカタチにする〉機会が随分と増えました。二世帯住宅や高齢者夫妻の住まいだけでなく特別養護老人ホーム(特養)の計画や、そのサテライト施設として注目される小規模多機能ホーム計画のお手伝いなどもさせて頂いています。

「老い」のデザイン
老齢の時期を快適に過ごすための住まいや施設の在り方は様々ですが、それらを計画する上で本当に考えるべきことはデザインや環境性能だけでなく、その構造やデザインの向うにある社会事情や家庭事情を的確に把握しながら計画すべきことです。住宅の計画一つをとっても、お年寄りが家族とどう関わるのか、その関わり方によって住まいの仕組みは異なります。家の中心である「居間」ですら現代社会の中では〈一家団欒のイメージ〉だけでは捉えられなくなってきています。それぞれの事情で食卓に皆が一斉に揃うことなどなかったりするからです。お年寄りにとってはそれだけでも処遇が変わります。調査によれば家族の中にいてもひとりで食事を取らざるを得ない高齢者の割合は6割を超えるそうです。数年前から始まった介護保険制度で「自立支援」や「在宅重視」が強調されているにもかかわらず、特別養護老人ホームには入所待機者が殺到していて施設志向は一向に収まりません。一人暮らしや高齢者のみの世帯も確実に増加していて、自宅で暮らせない高齢者が増えることでの施設志向はさらに強まるだろうとも言われています。

〈人としての尊厳〉を重視した生活の場づくりを

そんな現実を思うにつけ、老後の生活の場としての住宅や施設は、如何に〈人間的な暮らし〉を実現できる構造であるか、そうした場として在り続けられるか、という視点で創られるべき建築であることが見えてきます。これまでの施設は介護する側の都合で〈効率〉を最優先するカタチでのみつくられてきました。それでも自宅より施設での介護が望まれたのは、理想的な家庭環境ばかりではないという単なる比較論からでした。数年前から始まった新設特養に義務づけられた〈ユニットケア方式〉では全室が洗面・トイレ付の個室、6人程度のユニット(共同生活単位)で構成され、そこでの生活の様々な場面から「一斉に○○する」という概念が排除されています。食事も入浴も日々の日課も自分の体調や意思で自由に調整できるのです。これまでの〈収容所〉的な施設ではなく、自分らしく、他人に気づかうことなく安心して暮らせる〈生活の場〉が目指されています。むしろ〈個人の尊厳〉を守るためには当然実現されて然るべき環境でした。
しかし、理想郷とも言うべきこの仕組みは介護費用の問題から早くも危ぶまれています。一人の介護者で沢山のお年寄りを介護する、という、出来るはずのないこれまでの〈収容所〉方式に早くも逆戻りしようとしているのです。
年老いたとき、自宅か施設かと比較することなく、同等に「終の棲家」として選択でき、安心して身を託せる環境は人が人として生きるための権利であるはずです。なんとしても実現し維持していかなければなりません。それは政治や制度の問題であるだけでなく、そんな社会を創るためには建築が果たす役割は甚大だと思います。あらためて建築家としての職責を思うこの頃です。