EMERAUDE ARCHITECTURAL LABORATORY CO,LTD. 
 

家族の絆

小見山 健次 Kenji Komiyama


お年寄りが遊園地で暮らす?

都内の某大学建築学科の卒業制作作品を講評していた時のことです。気になったのは高齢者福祉をテーマにした複合施設の計画案でした。巨大な遊園地と老人ホームとを併設させることで、老人は遊ぶ子供たちの姿を居ながらにして眺められ、共に訪れた家族は自分の父母を慰問できるという構想。暗いイメージの老人施設に明るい活気が生まれるのだといいます。学生はこれからの高齢者福祉施設の新しいあり方だと誇らしそうに力説するのでした。私は何とも切ない気持ちになるばかりでした。老人施設で生活する父母に会いに行くことと、子供たちを楽しませる施設に行くこととを兼ねようという発想。孫世代の子供たちが遊園地で楽しむ光景を眺めることで老人は楽しめるはずだと考える発想。いずれもが少しも当のお年寄りの視点ではものを見ていないところに学生は全く気づいていない様子でした。
一緒に暮らすということ

親世代と共に暮らすことは敬遠され、核家族化は益々進んでいるようです。家父長制が色濃く残っていた時代は一緒に暮らすことで嫁いだ多くの女性たちが辛い思いをしてきました。親世代との同居は若い世代にとって気持ちよく暮らすための大きな障害のひとつとなり、そうした意味での核家族化には必然性があったとも言えます。ただ、私たちは身近に暮らすことの中で、家族の意識を強くしてきました。共に暮らすことで犬や猫への思いすらも募ります。彼らが病気や怪我をすれば治してあげようとし、彼らの死には大いに悲しみ涙します。犬や猫に対してすらも哀れみ、いたわろうとする。それは共に暮らしているからこそ生まれる自然な思いなのでしょう。

「家族おこし」の舞台としての家

遠慮や気遣いがいらず、敬いといたわりの気持ちとでいられる環境であれば、人はいつでも穏やかな気持ちになれるものです。どこの地域でも「まちづくり」が叫ばれていますが、寂れていくばかりの地域にとって、まず必要なことは、実は「まちおこし」ならぬ「家族おこし」なのかもしれません。地域が寂れた背景には、それ以前に各々の家族のあり方そのものが崩れてしまっていることが大きく起因しているように思えるからです。高齢化社会を迎えた今、私たちは家族の、世代を超えた「いい関係づくり」を考えていかなければならないと思います。本来、家は家族をそうした気持ちにさせてくれる「舞台」でなければならないはずなのです。「家族おこし」という視点に立った、住まいへのそうした肌理の細かい配慮がなされた時、家は初めて心地よい家族づくりのための舞台となります。厳しく辛い時代だからこそ、家を通して〈家族の絆〉を確認し合うことが必要ではないかと思うのです。