

桜の花には未だ間がある2011年3月5日、第一回現代工芸アートフェアが開催されます。現代の日本を代表する工芸作家55人の春の競演です。そして日本で初めて開かれる工芸アートにフォーカスしたアートフェアの開催です。
混迷を深め、自信を失いかけている今の日本において何か自信を取り戻せるようなきっかけを、例えば日本が世界に誇れる日本の美を私達が再発見出来るような場を提起出来れば、こんな願いが第一回現代工芸アートフェアには込められています。
日本の工芸アートは深く日本の風土に根ざしています。それは新緑溢れる山の土であり、清洌なせせらぎの水であり、炎が巻き起こす風であります。長い時間をかけ修練され、受け継がれた技法と妥協のない今を生きる作家の営為が日本の工芸作品を造形します。第一回現代工芸アートフェアが日本の美の再発見のきっかけになれればと、私達は考えます。 (※現代工芸アートフェア開催DMより転載)
●長い時間をかけ、日本の風土のなかで修練され、受け継がれた技法を習得した、現代の日本を代表する工芸作家55人による、試行錯誤と気の遠くなるような営為の果てに造形された珠玉の作品たち。
政治の迷走、経済の停滞、芸術の枯渇、と日本の混迷と疲弊は益々その度合いを深めている。その原因は重層的に幾重にも積み重なったものであり特効薬的な処方箋などありようも無いことはわかりきっている。只どこまでも私見ではあるが、その原因の一つが「日本の風土の美しさと、そこから生まれた文化、芸術の普遍的な価値をわすれてしまった事、言い換えれば日本固有のアイデンティティに対する自信の喪失」にあるとはいえないだろうか。私たちはこの現状を只憂い、諦めるのではなく変革、突破することを今求められている。
方法論は一点突破の全面展開しかないと思う。
そして私にとってのその一点とは「日本固有の工芸アートを広く世界に提示し、広く世界から日本固有の工芸アートへの賞賛と畏敬を受けること」と考える。単なる思い付きと模倣の混淆をうすく引き伸ばしたようなアートは形容詞だけの文章のようなもので、すぐ腐ってしまう。
それでは何故、今、工芸なのか。
それは、長い時間をかけ日本の風土のなかで修練され受け継がれた技法を習得した現代の作家が試行錯誤と気の遠くなるような営為の果てに造形したものが日本の現代工芸作品だからだと思う。そしてそれらの作品には美しい日本の風土の色と匂いと光と影が必ずや投影されているように思う。
第一回現代工芸アートフェアがこの変革と突破の小さなきっかけになれればと思う。
そしていつの日か「日本人であることを、むしろひとつの誇らしい原理として捉え直せる日がくること」を願う。
一般財団法人 現代工芸アートフェア
代表理事 高見康夫
(※現代工芸アートフェア開催DMより転載)